動画サイトでNHK特集「奥羽山系マタギの世界」を見て、「クマを追う時のマタギの山歩きは、やはり尾根歩きが基本なのだな」と思った。
一方、エゾシカ猟に特化した私のスキー忍び猟では、基本的に平地の沢沿いばかりを歩いている。尾根に上がるのは、半矢にしたシカを追跡する時くらいだ。
私自身、ヒグマが撃てる銃猟者には憧れを感じるが、クマ撃ちとシカ撃ちでは、そもそも山の歩き方から違うのかと思うと、クマ撃ちになるのはそう簡単なことではないな、と強く感じる。
これまで、積極的にヒグマを撃ちたいと思ったことがなかったので、自分はクマ撃ちの世界とは無縁だと思っていたが、今は春山でクマを追跡する技術に少し興味を覚えている。
とは言え、この人にクマ撃ちの技術を教わりたいという相手の当てなど全くない。
誰にも教わることが出来ないのなら、カメラとクマ撃退スプレーを持って、春山でヒグマの足跡を追ってみようか、などと考えながら、この辺の地図や、道庁作成の『ヒグマ捕獲テキスト』を読んだりしている。
『ヒグマ捕獲テキスト』
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/higuma/mokuzi.htm しかし、辺りの山の険しさに、尾根沿いのコースを想像しただけですでに心が挫けそうになっている自分がいる。果たして春までこの興味が持続できるだろうか、という不安も覚える。
なぜこんな事を考えるようになったかというと、道庁が推進している、銃猟でヒグマを捕獲できる技術者を育成する「人材育成のための捕獲」事業に、地元の若手狩猟者が参加しているにも関わらず、自分には参加の打診すら無かったということがショックだったからだ。
地元でも数少ない50歳以下のライフル射手であるにも関わらず、参加者の候補にもならなかったことに、私が地域の鳥獣対策における戦力としてみなされていない現状をひしひしと感じて、虚しい気持ちになった。
参加者選定については、役場なりの考え方があるのだろうし、未熟な自分がヒグマを撃って半矢にしたくないので、それはそれで構わないと思っている。
その一方で、この地域でヒグマとの軋轢が表面化した時に、狩猟者として何もできない自分のままでいいのか?というモヤモヤした気持ちをいつも抱えてきた。
最近になって、自分にクマ追いの技術がないのを他人のせいにして、うだうだ言ってるのが嫌になってきた。
それで、カメラを持ってクマを追いかけてみようかと思い始めた。
銃の代わりにカメラを持てば、猟期も鳥獣保護区も関係ないし、半矢にしてしまう心配だってない。
クマ撃退スプレーを持っていれば、自分の身を守るための最低限の装備にはなるだろう。あとは斜面の上からヒグマに襲われないようなコース取りが重要なポイントだったはず。
とにかく、何か一歩を踏み出したくなったのだ。
正直、「クマを撃てるようになって、それでどうするの?」という気持ちが無いわけではない。実際、わな猟免許を持っていて、アライグマの捕獲経験があるにも関わらず、アライグマの有害駆除には関与できていない現状だってある。
しかし、役場の思惑とか、猟友会の部会内での人間関係とか、そういう煩わしいことを気にして、何も行動していない自分が本当に嫌になった。
欲しい力は自分で手に入れればいい。
私はこれまでもずっとそうやってきた。
どんなに遠回りになっても、自己流では手が届かない高みがあっても、それは全然構わない。
春山でクマの足跡を追い、クマの写真を撮り、無事に戻ってこられるだけの技術と体力があれば、春山でのクマ撃ちにもきっと役に立つはずだ。
「こんな技術や知識を身につけて一体何になる?」などと考えるのはもうやめよう。地域で必要とされていないなら、自分自身のために修行すればいい。
「春先に、あの山の、あのコースを歩けば、ヒグマの足跡が良く見つかる」と思い当たる場所ならいくつもある。
まずはこの春、カメラとクマ撃退スプレーを持って、クマを追いかけて見ようと思う。